こんにちは、浜野八煌龍(はまのはっこうりゅう)です☺︎
今日は私の占い師としての想いも含めて、私自身の紹介です。
私は会社員の両親の元に生まれ、ごくごく一般的な家庭で育ちました。
親は私を何不自由なく育ててくれましたが、
小学校高学年ごろから、原因不明の辛い気持ちに襲われるようになっていました。
そんな自分を変えたいと思っていましたが、誰にも相談できず、唯一の頼りは『本』でした。
高校生からは本格的に本を読み漁るようになり、日立一高という地元の学校は単位制だったこともあって、授業を受けずに図書館に行くような日々を送っていました。
あと1単位で留年というところまで自分で計算する徹底ぶりです。
それでも心のモヤモヤが晴れることはありませんでした。
ようやく兆しが変わったのは30歳を過ぎてからです。
『親から褒められた記憶がない』
色々な本や心理メソッドを使って当時行き着いた結論がそれでした。
どんなに努力してもどんなに頑張っても、
親の幸せそうな顔は私の記憶の中にはありませんでした。
自分の本心を親に打ち明けることは
物凄く勇気のいることでした。
30歳でようやくそんな事を、嗚咽を吐きながら親に伝えました。
親は
そうだったのか。
ごめんな。
全然そんな風に思ってるとは感じなかった。
ほっておいても何でもできる子だと思っていた。
と言われました。
それを聞いた時には
私の努力を分かってくれていなかったんだ
と感じてしまいましたが、
同時に心のしこりが取れた感覚がありました。
自分でも長年わかっていなかった欠乏感が、
1番理解してほしいと願っていた親に伝えられたことで、やっと浄化したのだと思います。
そこから『私自身の人生』『100%自分の為の人生』が始まりました。
1番やりたい事をやって生きようと思い、会社も辞めテニスコーチになりましたが、
3年ほどで膝の前十字靭帯断裂と半月板損傷の怪我。
それが占い師となるきっかけになりました。
手術で入院している時に、今まで自分を変える為に蓄えた知識を看護師さんに聞いてもらう機会がありました。
ジャンルを問わず様々な本を3000冊は読破していましたが、
(数えてはないので最低でもそのくらい)
『占い』の話しにもなりました。
スピリチュアルや占いのお話しをすると
それが病棟の看護師さんの間で話題になり、
私が退院する時には看護師さんの方から退院祝いのプレゼントを貰いました。
自分を変えようと、自分のために学んできた事が、人の幸せに変わった初めての体験でした。
それが私の占いの原点です。
初めは無料でオープンチャットを開設。
テニスコーチも休職していたので
1日中鑑定の依頼を受けていました。
気付けば2ヶ月で1000人以上の相談を受ける程に私のオープンチャットは広がっていきました。
そこからご縁がつながり、
水戸占いの館
シフォンケーキクロノ
で今日まで鑑定させていただいております。
占いには抵抗がある人も少なからずいることは事実です。
でも私の原点は人が喜んでくれたり、前向きになってくれたりして、感謝していただけることです。
愚者は人智の及ばない事を見ようともしないが、
賢者は知識を知恵へと昇華する
という言葉があります。
Panasonicの松下幸之助さんも『算命学』という中国由来の占いで経営方針を決めていました。
占いが今日でも日本に伝承されているのは人間や自然界の1つの真理をついているからです。
紛い物は淘汰されていきます。
占いが人の人生の指針となる1つのツールとなるよう私は努めています。
ご縁があれば、私は精一杯あなたのために鑑定します☺︎
長いお話し、ここまてまお付き合いいただきありがとうございました☺︎
あなたに更なる幸あれ!
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