【自信】もういい加減、劣等感の世界で生きるのはやめよう【カウンセリング】

こんにちは、浜野八煌龍(はっこうりゅう)です☺︎

もういい加減、劣等感の世界で生きるのはやめよう。

世界が辛く、不安ばかりなのではなく、自分の心のフィルターがそういう世界として捉えてる。

あなたにはそのことに人生のどこかで気付いてほしい。

ある男の幼少期

出来て当たり前だった。

両親にとって。

 

その男は特段、才能に恵まれているわけでも、何でもなかった。

ただ、勉強したらいい点が取れるし、勉強しなかったら点数は低くなる。

それだけの事なのに。

父も母も真面目で、立派な人。

家もいつもきれいだった。

きちっと躾られたし、何不自由なく愛を注ぎ、育ててもくれた。

しかし、そこには『侮蔑の目』があった。

何かできれば喜ばれ、出来なければ悲しい顔をする。

表情には時に言葉以上の影響を人に与える力がある。

今でも思い出す、恐ろしい顔。

表層的に思い出さなくても、心の深層には刻まれていた。

そしてそれは、常に劣等感を感じる事へとつながった。

劣等感を持つと無限地獄

その男は日立一高に進学した。

ただ、誇りはなかった。

ようやく終わったと思っていた『怖い表情をされないための勉強』は、

むしろ新しい始まりになった。

そして、他人と比べる事の無限地獄の中に余計にはまっていった。

志があって意義をもって勉強してる人。

勉強が楽しくて夢中な人。

淡々と勉強をこなせる人。

敵うはずがなかった。

そんな中で、その男の劣等感は更に強烈なものになっていった。

勉強の代わりに打ち込んだのはテニスだった。

今思えば、それも自分の中の劣等感から逃れるために戦っていたのだと思う。

部長にまでなったが、まさかの途中退部。

前代未聞だった。

やはり勉強に打ち込もうと思ったからだ。

全く勉強しなかった男が今度は早稲田を目標とした。

しかし、人を見返すための勉強は苦痛で苦痛で仕方がなかった。

気が狂いそうだった。

全く何も頭に入らなかった。

そして大学は無事不合格。

その後10年以上続くコンプレックスを抱える事になった。

その後、その男は縁あって役者になるが、そこは割愛しよう。

認知バイアス

その男は気を回すたちだった。

しかしそれがイライラへと変わっていく。

『何でそういうやり方なの?』

『何でそんなに効率が悪いの?』

常に人に目を光らせていた。

そして言い知れぬ悲しみも同時に自分自身に感じていた。

当時はその正体がいくら本を読んでもわからなかった。

認知バイアス。

要は『色メガネ』で物事を見ていたのだ。

『自分は劣っている』

『自分には価値がない』

『自分は愛される存在じゃない』

、、、そんな色メガネで現実を解釈しようとするから、

いつも辛かったのだ。

まず自分の中の劣等感を受け入れる

カウンセリングには、

認知行動療法という手法がある。

まずは『認知』なのだ。

自分がどういう人間なのか、

芯から自覚することから全てが始まる。

心の傷は誰しも、ずっと絆創膏で隠しておきたいものだ。

しかし隠しておくだけでは一生治らない。

一生、自覚のない傷となってあなたの人生に影響を与え続ける。

受け入れられないならそれもいい。

人には人それぞれのタイミングがある。

意識下では、変わりたいと思っていても、潜在的に拒否があれば無理なのだ。

その男は本を1万冊以上乱読し、20年コンプレックスの渦の中で勝手にもがき、30歳にしてようやくそんな

悲劇の人生に思うのはアホらしいと気付いたぐらいなのだから。

もっと言うと今世中に変われない人がほとんどだ。

何回も何回もカルマを繰り返す。

変われなくて当然。

でも変わりたかったら自分と向き合いましょう。

そして今

そして今、その男は全く違う世界を生きている。

自分が変わると、こうまでも世界は違って見えるのかと思うぐらいに。

事実の受け取り方が変わるのだ。

物事の捉え方が変わるのだ。

結局、人間は物理世界の中で生きながら、思考せずには生きられない物なのだ。

どんなに物理現象が目の前で起こったとしても考えるのはいつも精神。

精神というフィルターを通してしか生きられない。

もう劣等感は捨てよう。

親に何を言われてきても、

人より劣っていても、

そもそもそんな価値基準が間違ってるだけ。

社会に洗脳されないで、親の呪縛から解かれて。

上司に悩まされないで。

あなたも幸せな世界で過ごせるよう祈りに変えて。

追記

別に親を責めてない。

それは『親もまた親によって劣等感を植え付けられている』から。

しょうがないでは済まないこともあるが、

でもしょうがない。

系譜なのだ。

そういう家系なのだ。

しかしそこを選んで生まれてきたのもやはり自分。

自分の中に前世で解消できなかった劣等感があるから、

同じようにそれに『気づかせてくれる』親を選んで生まれてきたのだ。

そう考えるとむしろ感謝なのだ。

気づかせてくれてありがとう。

私は私の子供には侮蔑の目はしないよ。

この流れは私で断ち切ります。

それだけの話しです。

親だって完璧じゃない。

それはむしろ、親の言うことが絶対ではないということでもある。

 

未熟なりに精一杯育ててくれてありがとう。

劣等感から解放されると、そこに残るのは愛だった。

『その男』のことをいっぱい書いたけど、

誰かの何かきっかけになればいいかな。

 




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